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山口地方裁判所 平成4年(ワ)171号 判決

主文

一  被告らは、連帯して原告ら各人に対し、各金四〇八九万九六四七円ずつ及び各内金三七一八万四六四七円に対する平成二年七月二八日から各支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告らのその余の各請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを二〇分し、その一を原告らの、その余を被告らの、各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

理由

【事実及び理由】

第一  当事者の申立

(原告ら)

1 被告らは、連帯して原告ら各人に対し、各金四三〇九万九六四七円ずつ及び各内金三九一八万四六四七円に対する平成二年七月二八日から各支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2 訴訟費用は被告らの負担とする。

3 仮執行宣言

(被告ら)

1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

3 仮執行宣言が付された場合に、担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  事案の概要及び争点

本件は、原告西村雅江(以下、「原告雅江」という。)及び原告西村尚美(以下、「原告尚美」という。)において、原告雅江の夫であり、原告尚美の父であった西村昭二(以下、「昭二」という。)が、被告国が設置する山口大学医学部附属病院(以下、「附属病院」という。)において雇用する医師である被告植木幸一(以下、「被告植木」という。)執刀の下で手術を受けた際に過誤があり、これによって昭二が死亡したとして、同被告に対しては不法行為に、被告国に対しては不法行為者の使用者責任にそれぞれ基づき、右死亡により生じた損害賠償金及びこれに対する右死亡時(平成二年七月二八日)から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の連帯支払いを求めた事案である。

一  争いのない事実及び証拠上明らかに認められる各事実(証拠を掲記していない部分は、前者である。)

1 当事者

原告雅江は、平成二年七月二八日死亡した昭二(昭和一七年九月二日生、)の妻であり、原告尚美は、昭二の子であるところ、原告両名のほかに昭二の相続人はいない。

被告国は、附属病院を設置し、被告植木その他の医師、看護婦らを雇用し、患者の治療に従事させている。

2 昭二の死亡経過

昭二は、平成二年六月一日、小郡町総合健診センターの人間ドックを受診し、その際に胆嚢ポリープが発見されたため、同月一六日、藤田放射線科の精密検査を受け、同医師の紹介により附属病院を受診し、同月二七日、同病院に入院した。

昭二は、附属病院入院後、ERCP(内視鏡的逆行性膵・肝管造影法)等の諸検査を受け、同年七月一三日、執刀医を被告植木として、受持医相川文仁(以下、「相川医師」という。)の立ち会いの下に拡大胆嚢摘出手術を施行された(以下、「本件手術」という。)。

本件手術中の昭二の出血量は約九五〇〇ミリリットルに達し、最低血圧は一時的に四〇mmHg(以下、血圧の数値については、数字のみで示す。)まで低下したこともあって、昭二は、同日、同病院の集中治療部(ICU)に入部し治療を受け、翌一四日にも止血のための再開腹手術を施行され、その後も人工呼吸を受けながらICUにおいて治療を受け続けたが、同月二八日、術中大量出血による肝不全、敗血症により死亡した。

二  争点

1 本件の争点は、

<1> 被告植木の本件手術施行に関して過失があり、それによって昭二が死亡するに至ったか否か、

<2> <1>が認められるとして、その損害額いかん

というところにある。

2 争点に係る当事者の主張

(争点<1>について)

(一) 原告ら

(1) 本件手術に至る経過及び本件手術による大量出血の経緯は、前記一2で認定した各事実に加え、以下のとおりである。

昭二は、平成二年七月一三日に胆嚢全摘手術を受けることがすでに決まっていたにもかかわらず、同月一〇日、不必要な胆嚢二重造影検査を受けたため、これにより、急性胆嚢炎を起こし、その結果、本件手術施行日である同月一三日においても、胆嚢周辺部に炎症が残存するに至った。

ところで、本件手術の場合、被告植木は、胆嚢を摘出した直後ポリープの存する部分を病理組織検査(「術中迅速検査」、「術中迅速組織検査」又は「術中迅速標本検査」等ともいうが、以下、「本件術中迅速検査」として示す。)に回したが、同被告及び相川医師らは、手術前になされた諸検査の結果から、癌の疑いを強く持っていたため、本件術中迅速検査の結果を待たずに、直ちに、癌である場合になされる肝十二指腸靭帯のリンパ節廓清手術(以下、「本件廓清手術」という。)に着手することとし、同被告において、同廓清手術の準備のため、左右の各肝動脈を露出させ、門脈にテーピングを行い、次いで小網を開け、総肝動脈を露出にかかった。その際、被告植木は、肝十二指腸靭帯内の血管を損傷し大量出血を招き、さらに、その止血操作の際、膵頭部後面の膵実質からの出血をも招いた。そのために、昭二について、前記のような大量出血を来し、低血圧ショック及び大量の輸血による抵抗力の低下による呼吸不全、肝不全、腎不全等の多臓器不全及び敗血症により、同人は死亡するに至った。

なお、昭二の胆嚢ポリープは、本件術中迅速検査の結果、良性のものであることが判明している。

(2) 被告植木の過失

ア 昭二の胆嚢ポリープは、本件術中迅速検査の結果、良性のものであったのだから、右ポリープが癌であることを前提とする本件廓清手術は不必要であった。そもそも、本件術中迅速検査は文字どおり「術中迅速」としてなされており、その検査結果を待って本件廓清手術がなされることになっていたのに、被告植木らは、手術前の検査結果から、右ポリープが癌であることを強く疑っていたため、本件術中迅速検査の結果が判明する前に、同廓清手術に着手したが、肝十二指腸靭帯に炎症が波及していたため、血管の剥離に難渋し、それが血管損傷の原因となり、ひいては止血に難渋する原因ともなったところ、肝十二指腸靭帯内の血管損傷による出血を止血する際、膵実質からの出血を招いたのは、炎症が膵臓まで波及していたためであり、その炎症とそれまでの大量出血による出血傾向により、膵実質からの出血を止血することが困難となり、ますます大量出血を招いたものである。被告植木は、本件廓清手術の準備(以下、「本件廓清準備」という。)に入る前に昭二の炎症状態を確認しえたのであるから、胆嚢癌が強く疑われたものの、その確定診断に至ってない本件の場合には、本件術中迅速検査の結果癌であることが判明した後に、同廓清準備に入るべきであった。しかるに、被告植木は、本件術中迅速検査の結果を待たずに、あえて、危険な本件廓清準備行為に着手し、そのために、大量出血を招き、昭二の死亡の結果を惹起したものであるから、同被告には過失がある。

イ また、昭二は、前記(1)で指摘したごとく、平成二年七月一〇日に受けた不必要な胆嚢二重造影検査により、急性胆嚢炎を起こし、これがため、本件手術の際にも胆嚢周辺部に炎症状態が残存しており、右炎症によって組織が脆弱化した結果、多少の損傷でも大量出血の結果を惹起したものと考えられる。

かくして、被告植木にとり、右炎症は本件手術で開腹した際に明らかであったのであるから、同被告において、右炎症を認めた時点で手術を中止し、昭二の回復を待って後日手術を行うべきであるのに、同人の右炎症状態をよく観察することなく、軽率にも手術を継続し、もって、同人を死亡させたものであるから、同被告には過失がある。

(二) 被告ら

(1) 本件手術に至る経過及び本件手術による大量出血の経緯は、以下のとおりである。

昭二は、平成二年六月二七日、附属病院に入院して以後、同月二八日に、血液・生化学検査を、同月三〇日に、腹部超音波検査を、同年七月三日に、ERCP検査を、同月四日に、腹部超音波検査、EUS(超音波内視鏡検査)を、同月五日に、腹部CTを、それぞれ受けた(ただし、腹部CTのみは、宇部市内の尾中病院による。)。その結果、昭二には、胆嚢の悪性病変が強く疑われたが、手術術式は病名により全く異なるため、より確実な診断を得るべく、同月一〇日、同人に対し、胆嚢二重造影法が施行された。

かくして、本件手術では、まず、肝床部を含めた拡大胆嚢摘出手術を行うことにし、総胆管前面で肝十二指腸靭帯に切開を加え、総胆管を周囲の組織から剥離し、これに流入する胆嚢胆管を確認した。胆嚢胆管を三管合流部まで周囲の組織から分離し、この部で結紮し、更に貫通結紮した後、胆嚢胆管を切断した。次いで、カローの三角部で胆嚢動脈を露出し、これが胆嚢に流入するのを確認し、これを結紮し切断した。胆嚢付着部より約二センチメートル離れた肝臓に電気メスでマーキングした後に、肝床部が胆嚢に付着するように、指破砕法で肝臓を切離していった。途中グリソン系はその都度結紮切離した。そして、順次肝門部に向かいカローの三角部の脂肪織を含めて胆嚢摘除を終了し、直ちに、摘出標本を、本件術中迅速検査に提出した。

ところが、肝床部切離面からの出血を認めたため、圧迫法にて止血を試みたが、これでは止血は不十分と思われ、次に、一時的肝血行遮断法で止血を試みた。しかし、肝十二指腸靭帯の組織は脆弱となっており、これの一括処理による完全な血行遮断ができなかった。そこで、血行遮断を完全にするために、肝固有動脈、門脈をそれぞれテーピングして、これを行うこととした。ところが、肝固有動脈のテーピングを施行中、肝十二指腸靭帯部からの出血を認めるようになったことから、この出血を止血するため、出血を圧迫法にてコントロールしつつ、膵頭部を後腹膜から剥離し、続いて、出血部の中枢側の総肝動脈をテーピングし、さらに、末梢側固有肝動脈にテーピングしようとしたが、かえって出血量が増えてきた。このころには、出血はウージング様(毛細血管からじわじわと出るびまん性の出血)となり、組織全体が、操作するごとに、その部から新たな出血を来すようになり、大量出血となったのである。

(2) 被告植木の過失について

ア 被告植木は、本件廓清準備行為に入ったものではないので、原告の主張するようなこの点に係る過失はない。

また、仮に、本件廓清準備行為に入ったと認定されたとしても、昭二の場合、胆嚢ポリープの悪性が強く疑われたのであるから、拡大胆嚢摘出術の施行後にその手術時間を節約するため、肝十二指腸靭帯から総肝動脈周辺にかけてリンパ節廓清の準備をすることは手術の一般的手順であり、本件術中迅速検査の結果が出るまでの間、本件廓清準備に入ることなく、右の検査結果を待つべき注意義務があったとはいえない。

さらに、本件の場合、被告植木は、昭二について胆嚢炎の炎症が肝十二指腸靭帯にまで波及していることを認識していたが、同被告自ら、総胆管にテーピングすることができたし、胆嚢管、胆嚢動脈を露出させ、結紮切離することもできたので、同被告において、肝十二指腸靭帯の炎症は、同部の血管にテーピングが可能な程度であり、他の血管についてもこれが同様であると判断して本件廓清準備に入ったことに誤りはなく、また、同廓清準備に入った場合に、止血操作が困難で大量出血するに至ることを予測することも同被告には不可能であったので、右判断に過失はなかったものである。

イ 前記一2イの原告主張の注意義務の存在を否認する。

(争点<2>について)

(一) 原告ら

(1) 昭二の損害額

合計七八三六万九二九四円

ア 葬儀費用 一二〇万円

イ 逸失利益 五三一六万九二九四円

昭二は、死亡当時満四七歳であり、当時、年間五五七万八四四七円の年収を得ていたものであり、以後も二〇年は就労が可能なところ、その新ホフマン係数は、一三・六一六であり、生活費控除は三〇パーセントと考えられる。

(5、578、447×0.7×13.616=53、169、294)

ウ 死亡慰謝料二四〇〇万円

(2) 原告らは、昭二の右損害額を各二分の一ずつ相続した。

(3) 本件訴訟追行のための弁護士費用は、七八三万円が相当であって、原告らは、その二分の一に相当する三九一万五〇〇〇円ずつを請求する。

(二) 被告ら

逸失利益については、生活費控除四〇パーセントとして四五五七万三六八一円が、死亡慰謝料は二〇〇〇万円が、それぞれ相当である。

第三  争点に対する判断

一  争点<1>について

1 前記第二、一で認定した各事実に加えるに、《証拠略》によれば、以下の各事実が認められる(ただし、《証拠略》中、いずれも後記採用し得ない部分を除く。)。

(一) 昭二は、昭和六〇年ころから高血圧症のため投薬治療を受けていた以外に病歴はなく健康であったが、前記第二、一2で認定した経緯により、平成二年六月一六日藤田放射線科を受診したところ、当時、昭二には、黄痕、発熱、腹痛といった症状はなかった。しかし、昭二を診察した右放射線科の藤田良樹医師は、腹部エコー検査の結果、昭二の胆嚢ポリープが径一センチメートル以上で、分葉状を呈していたため胆嚢摘出術が必要と考え、同月二七日、同人を附属病院に紹介した。右紹介を受けた附属病院第一外科の守田信義助教授(以下、「守田助教授」という。)は、同日、昭二を診察後、胆嚢ポリープの診断の下、同病院の同外科に入院させることとし、これにより、同人は、即日、同病院に入院したところ、その担当に、山口大学医学部第一外科学講座研究生の相川医師がなった。

(二) 昭二は、入院時、やや肥満気味(身長一六二センチメートル、体重六四キログラム)であったものの、肝腫大及び腹部圧痛はなく、胸部その他にも特に異常所見は認められなかった。右入院した翌日である平成二年六月二八日、昭二に対し、血液・生化学検査が施行され、その結果、同人に、貧血はなく、白血球、血小板数も正常で、血清生化学検査では血糖値がやや低い(五二mg/dl)以外には、肝臓、腎臓、肺機能の異常を示す所見はなく、出血傾向検査も正常であった。

しかし、同月三〇日、昭二は、腹部超音波検査を受けたところ、胆嚢頚部に一七×一〇ミリメートルの内部の不均一な隆起病変が認められ、これにつき、その大きさ及び内部エコーの所見から悪性病変が疑われた。そこで、同年七月二日には、昭二に対する手術日を同月一三日とすることが予定されたが、さらに、同月三日、同人において、ERCP検査を受けた。その結果、胆嚢の頚部から体部(肝床側)に直径一五×七ミリメートルの可動性の乏しい透亮像が認められたことにより癌が疑われ、また、直径四ミリメートルの石も胆嚢内に認められたため、胆石症と診断された(なお、同月二日、昭二に対し、造影剤に対する過敏性テストが施行されたが、いずれも陰性であることが確認されていた。)。右検査を施行した附属病院第一内科の秋山哲司医師は、以上の結果から、手術前に、昭二に対する胆嚢二重造影検査を行うことを要望し、同月一〇日に右検査の予約をすることとなった。他方、同月四日、昭二に対する腹部超音波検査及びEUSが施行され、前者においては、胆嚢頚部に一二×五ミリメートルの隆起性病変を認め、内部エコーの所見からも通常認めるコレステロールポリープとは異なり、腺腫又は腺癌が疑われる所見が得られ、後者においては、八ミリメートルのポリープ様病変があり、腺腫又は腺癌が疑われ、少なくともコレステロールポリープではないとの報告がなされた。次いで、同月五日、昭二は、腹部CT検査を施行され、その結果、胆嚢内隆起性病変及び胆嚢内結石が認められた。

かくして、同月九日、相川医師は、以上の結果を総合して、昭二に対する拡大胆嚢摘出術の必要性を認め、同手術を、同月一三日に施行する予定を立て、その翌日の同月一〇日、先に予定した同人への胆嚢二重造影検査が行われたが、その検査所見では、胆嚢粘膜の描出が不良に終わり、隆起性病変が良性か悪性かは診断できなかった。ところで、右検査後、昭二において、激しい腹痛を訴え、意識レベルが低下し、血圧は上が一四〇、下が九〇となった。しかし、附属病院放射線科松井医師の処置により、昭二の右意識レベルは一五分後に回復したものの、同日午後六時の時点で、同人には三七・四度の発熱があり、翌一一日にも、その右季肋部に圧痛と反跳痛を認めたが、意識消失はなかった。かくするうちの、同日、附属病院第一外科では、昭二に対するカンファレンスを行い、手術日を同月一三日正午開始とし、諸検査の結果から予定術式を拡大胆嚢摘出術、執刀医を被告植木とする旨決定した。そして、同月一二日には、昭二の腹痛も軽減し、体温は三七度前後であったところ、同日、相川医師は、昭二の手術に関し、原告雅江に、病名は胆嚢ポリープ、手術は拡大胆嚢摘出術、麻酔は全身麻酔であり、起こり得る合併症として出血、感染、肝機能障害があることの説明を行い、これに対し、同原告は、その旨を理解・承諾し、手術及び麻酔の承諾書に署名・押印した。

(三) 本件手術は、平成二年七月一三日正午ころ、担当医の相川医師外二名の医師を助手として、被告植木の執刀で、予定どおり行われた。そして、全身麻酔下に昭二を仰臥位にし、その劍状空起下より臍部の左側を回り臍下二横指に至る上腹部縦切開を加えて開腹すると、腹腔内に腹水及び膿は認められず、肝臓の大きさ及び色調ほぼ正常で、その硬度は弾性軟であったが、辺縁は鈍であり、肝臓全体はやや浮腫状態であったものの、悪性病変による転移を思わせるものはなかった。しかし、胆嚢および肝門部は浮腫状に腫脹し、ハルトマンポーチから肝十二指腸靭帯にかけて浮腫が強く、発赤を伴い、膿苔も付着しており、胆嚢を触知し、腫瘍を触知しようとしたが、炎症が強く触知できなかった。

(四) 本件手術では、予定どおり、まず、肝床部を含めた胆嚢摘出術を行うことにし、総胆管前面で肝十二指腸靭帯に切開を加え、総胆管を周囲の組織から剥離し、これに流入する胆嚢胆管を確認したが、この時、肝十二指腸靭帯の組織は炎症のため脆弱であった。そして、胆嚢胆管を三管合流部まで周囲の組織から分離し、この部で結紮し、更に貫通結紮した後、胆嚢胆管を切断した。次いで、カローの三角部で胆嚢動脈を露出し、これが胆嚢に流入するのを確認して、結紮し切断した上、胆嚢付着部より約二センチメートル離れた肝臓に電気メスでマーキングした後に、肝床部が胆嚢に付着するように、指破砕法で肝臓を切離していった。途中、グリソン系はその都度結紮切離した。そして、順次肝門部に向かいカローの三角部の脂肪織を含めて胆嚢摘除を終了し、直ちに、摘出標本を本件術中迅速検査に提出した。

(五) 本件術中迅速検査の結果を待つ間、被告植木は、術前より、昭二の症状につき悪性を強く疑っていたため、同検査結果が判明するより前に、本件廓清準備行為にかかった。すなわち、まず、順次周辺組織を分け、肝固有動脈を露出してテーピングし、同部に沿って右肝動脈及び左肝動脈を露出させたが、この時、左肝動脈を損傷し、修復不能との判断の下、やむなくこれを結紮した。次いで、門脈を剥離してテーピングし、さらに、小網を開け総肝動脈の露出にかかった時出血が起こって、これが多量に及び、また、膵頭部後面からも出血が生じた(なお、乙二中には、「SMA分枝からの出血であった。」と記載されているが、《証拠略》によれば、これは膵頭部後面からの出血であると認められるので、右記載は採用しない。)。

ところで、右多量の出血の原因については明らかではないが、被告植木において、十二指腸受動術を行い、あるいは、膵臓の膵頭部を抱えて肝十二指腸靭帯を圧迫しつつ、出血箇所をピンポイントで押さえるという処置をしている間に、手が当たるなどして出血を増大させた疑いがある。

(六) その後、守田助教授及び附属病院第一外科長の江田健輔教授も本件手術に参加し、止血が行われた結果、膵頭部後面からの出血部位は、三--〇ネスピレン、二--〇ネスピレンを用いた縫合結紮でほぼ止血させた後、その他の出血部位も、オキシセル綿、アビテン、ベリプラストPを用いて止血させた。この間、昭二の血圧は一時的に四〇まで低下し、総出血量は九五〇〇ミリリットル、輸血量は一万〇三〇〇ミリリットルに及んだ。

なお、本件術中迅速検査の結果は、壊死性胆嚢炎及びコレステロールポリープであった。

(七) 昭二は、本件手術後は、ICU(集中治療室)で管理されたところ、入室時のその血圧は、上が一二五、下が六五で、脈拍は一分間に一二〇回、CVP(中心静脈圧)は六mmHgで、循環状態は安定していた。また、同人の呼吸状態は、酸素濃度一・〇の人工呼吸下で、酸素分圧三一一mmHg、二酸化炭素分圧三八mmHgであり、その後も循環、呼吸状態は安定していた。しかし、昭二に対し、輸血一五〇〇ミリリットル以上を投与するも、同人のヘモグロビン、ヘマトクリット値は上昇せず、その腹部が膨満してきたため、腹腔内からの出血があると診断し、本件手術日の翌日である平成二年七月一四日、執刀医を守田助教授、助手を被告植木及び相川医師外一名として再開腹による止血術が行われた。右開腹時、昭二の腹腔内には約一〇〇〇ミリリットルの凝血塊があり、これを含めて、その際の出血量は二八四九ミリリットル強とみられた。右の出血部位は、膵頭部近傍、次いで肝床部及び大網の一部などであり、これが止血された(なお、門脈系のうっ血所見は認められなかった。)。

そして、その後も、昭二についてはICUでの管理が続いたが、同人になお少量の出血が続くため、輸血も行われた。しかし、同月一六日には、GOT八八五、GPT一一九〇、総ビリルビン八・六といずれも数値が上昇し、昭二に肝機能障害が疑われた。さらに、昭二において、同月二〇日ころからは、BUN七九、クレアチニン四・七とこれもそれぞれ上昇して、腎不全に陥り、また、翌二一日には、血圧低下気味で同人につきエンドトキシンショックも疑われた。その後、同人に対して血漿交換等の治療も行われたが奏功せず、同月二八日午後二時七分、同人は、術中大量出血による肝不全、敗血症により死亡した。

2(一) これに対し、被告らは、前記第二、二2(争点<1>について)(二)(1)で掲記したとおり、本件手術に当たり、被告植木は、本件廓清準備行為に入っていたものではなく、昭二の肝床部切離面からの出血を認めたため、止血を試みていたものであり、また、診療録(乙二、検証の結果)中の手術記録にある本件廓清準備行為に入った旨を含む相川医師の記載部分(以下、「相川記載部分」という。)は、誤りであり、この点は、その直前に(正確には、相川医師が書いた、「術中迅速へ提出した。」と「結果判明する間」の間に挿入される。)、「肝床部よりの出血があり、これをコントロールするために肝動脈、門脈のテーピングを試みた。この際、肝十二指腸靭帯にも炎症が波及していたため組織間の癒着が強く、血管のテーピングに難渋した。」との被告植木の書き込み(以下、「本件書き込み」という。)によって訂正されているとそれぞれ主張し、被告植木作成の陳述書(丙一)及び同被告人尋問の結果は、これらに沿うかのごとくあるので、以下、検討する。

(二) まず、本件書き込みにより、相川記載部分が訂正されたとみられるかどうかについては、これが、右のごとく、相川医師が書いた前記手術記録中の記載の間に挿入する形でなされている反面、手術記録自体にそれ以上の訂正はなされておらず、また、その文言から見ても、相川記載部分の内容を否定しているものとは一概には解し難いところである(この点は、特に、後記退室時要約につき、これが、相川医師と違い、本件手術に関して先入観を持っていないICUの松本医師において、それまでの診療録にある記載を基にして記したものであるだけに、本件書き込みを読んだとしても、全体として本件廓清準備行為を否定する趣旨となっていないことを医師の目から裏付ける結果となっているものである。)。加えるに、《証拠略》によれば、本件手術後の平成二年七月一七日、附属病院でなされた医局カンファレンスがあり、その席で、相川医師において同手術経過を発表し、症例の検討がなされたが、その際、本件廓清準備行為があったとする同医師の報告が訂正されたような経緯はなかったものと認められるのであり、これらに照らすと、被告植木において、右カンファレンス後に、相川医師に対し、本件術中迅速検査の結果を待つ間の昭二に対する一連の手術経過は廓清準備ではなく止血操作であった旨を伝え、また、本件書き込みについては、同日以後、昭二がICUで治療を受けている間に書き込んだものであるという同被告本人尋問の結果中の供述は、相川医師が、昭二の死亡日である同月二八日以降に作成した退院概要においても、「廓清の準備」の文言が用いられており、ICUの松本医師が昭二退出時に書いた退室時要約中にも「リンパ節廓清中に大量出血した。」という言葉が見られるなど(乙二、検証の結果)、いずれも本件廓清準備行為があったことを否定ないし、訂正したものとは解し難いこともあいまってみるに、本件書き込みにより相川記載部分が訂正されたとする証拠としては採用し得ないところである。

(三)(1) 次に、相川記載部分の信用性についてみるに、同記載部分には、前記第三、一1(五)で指摘したごとく、真実は、膵頭部後面の膵実質からの出血であったにもかかわらず、上腸間膜動脈(SMA)分枝からの出血と記載されているように誤記も存するのでその信用性が問題となる。しかしながら、《証拠略》によれば、相川医師の書いた診療録は、右肝動脈の走向まで詳細にカルテに図示されていたり、当該走向について「総胆管の背側より右肝に入っていた」という細かい点まで記載されているなど概ね詳細に記述されていることが認められるのに経験則上、本件手術に助手として立ち会った昭二の担当医である相川医師が見落とすはずがないと思料される被告らが主張するところの肝床部からの出血や肝十二指腸靭帯一括処理や血行遮断の試みなどについては全く触れられていないことが認められる。また、鑑定人である右兼松は、鑑定の結果において、「被告植木の供述のように肝床部からの出血が、圧迫ではコントロールできない出血であれば、肝十二指腸靭帯のテーピングの前に、電気メスによる凝固止血や結紮、縫合などの処置がとられるのが通常の手順であるし、また、止血操作として、膵頭部上縁からアプローチするために網嚢孔を開いての処置がなされており、このアプローチは総肝動脈に沿った部位からの出血であれば考えられるところであるが、肝十二指腸靭帯、それも植木が図示した個所からの出血コントロールするアプローチとしては通常は不適である。」旨意見を述べ、さらに、「以上述べてきたことを総合的にみると、手術記事(相川記載部分)に書かれた手術の方が、手術の流れとしては受け入れやすいように感じられる。」とも述べている。

かくして、以上の点をふまえて判断するに、相川記載部分は全体として信用できるものと思料される。

(2) してみると、相川医師において、被告植木が本件廓清準備行為に入る旨思いこんでいた影響があるとしても、本件手術手順自体は前記診療録記載のとおりに行われていたものと認めることができ、そうであるならば、「本件手術手順は血行遮断目的というよりリンパ節廓清のための準備行為とみなさざるを得ない。」(鑑定の結果)と考えられる。

(四) 以上検討したところによれば、本件手術において、本件術中迅速検査の結果が判明する前に、被告植木は本件廓清準備行為に入ったことが認められるのであり、これに反する前記診療録(乙二、検証の結果)、同被告の陳述書(丙一)及び同被告本人尋問の結果の各該当部分は、いずれも措信できず採用し得ない。

3 次に、被告植木において、本件廓清準備行為に入ったことが過失となるかどうか検討する。

《証拠略》によれば、医師によるとはいえ、手技に頼る操作が中心となる廓清準備は、患者の内臓組織を損傷する危険が大きいため、術中迅速検査により癌と確信されないうちにこれの着手がなされるべきものではなく、したがって、医師には、これに即した注意義務が存することが認められ、被告植木も、その本人尋問の結果中においてこれを自認している。

しかるに、前記第三、一1(五)及び(六)で各認定したごとく、本件手術において、被告植木は、本件術中迅速検査の結果が判明するのを待たずに、昭二に対する本件廓清準備行為に着手し、それを進めつつある過程で、同人に多量の出血を起こさせており、加えて、右検査結果によるも、昭二に癌の症状は認められなかったという経過に照らすと、同被告には、本件術中迅速検査の結果が判明するまでは本件廓清準備行為には入らず待機すべきであったという医師としての注意義務に違反したと言い得るのである。

もっとも、証人(鑑定人)兼松隆之は、その証言ないし鑑定の結果中で、「昭二の場合も悪性が強く疑われたからこそ、最初から肝床部肝切除も施行された。それ位に癌を疑ったとすれば、次に肝十二指腸靭帯から総肝動脈周辺にかけてリンパ節廓清が必要と考えるのは当然の成り行きである。迅速標本検査の結果が出る迄の間、大体三〇分程度の時間を要することがあるので、少なくとも肝十二指腸靭帯の中から総胆管、肝、動脈、そして門脈を剥離し、それぞれにテーピングをして廓清の準備をすることは有り得ることである。実際、本鑑定人もそのような準備行為あるいはそれに類する処置を行うことがある。もし、悪性であれば、リンパ節廓清に移るまでの時間の節約になるし、患者側にとってもメリットのあることである。もし、組織検査結果が悪性でなければ、テーピングを解いて手術を終わることになり、血管露出やテーピングは、それ程の侵襲にはならないからである。肝十二指腸靭帯に炎症のあった本件において、それを行うことの可否については難しい点もあるが、すでに総胆管にはテーピングをされ、胆嚢管、胆嚢動脈も露出し、結紮切離されていることから、他の血管もテーピングが可能とする判断は下して誤りではないと考える。」として、被告植木が本件廓清準備行為に入ったことに過失はなかったとの意見を述べている。しかし、弁論の全趣旨によると、この意見としても、医師につき前示した廓清準備行為の危険性を前提とした注意義務が存するとの考え方を否定しているものとは解されないのである。そうすると、右意見をふまえて、本件手術の経過をみた場合、前記第三、一1(四)で認定したごとく、昭二については、その肝十二指腸靭帯に炎症があり、組織が脆弱化していたわけであるから、これがそうでない場合に比べ、廓清準備による高度の侵襲の可能性が高かったのであり、したがって、それまでに、「総胆管にテーピングができ、胆嚢管、胆嚢動脈も露出し、結紮切離されている。」からといって、そのことにより、本件廓清準備行為に際しての侵襲の可能性が否定されるものではなかったのであって、してみるとやはり、前掲意見をもって、被告植木による前記注意義務違反を否定する証拠とはなし難いと解するものである。

かくして、本件手術に際し、前記注意義務に違反して本件廓清準備行為に入った被告植木には過失が認められると言うべきである。

4 よって、前記第二、二2(争点<1>について)(一)(2)イで原告らが主張する過失の有無を判断するまでもなく、被告植木は民法七〇九条に、被告国は同法七一五条に、それぞれ基づき、連帯して原告ら各人に対し、後記認定する昭二の死亡により生じた損害を賠償する義務を負うことになる。

二  争点<2>について

1 昭二の損害

(一) 葬儀費用

弁論の全趣旨によれば、昭二の死亡により同人の葬儀が営まれたことが認められるところ、本件と相当因果関係が認められるその葬儀費用は一二〇万円が相当である。

(二) 逸失利益

《証拠略》によれば、昭二が死亡した前年である平成元年分の同人の所得は、五五七万八四四七円であったことが認められるところ、同人は、死亡時四七歳であったから、少なくとも六七歳までの二〇年は稼働可能であったと解されるところ、その三割を生活費として控除した上で、該当する新ホフマン係数一三・六一六を乗じて逸失利益を計算すると、五三一六万九二九四円となる。

(5、578、447×0.7×13.616=53、169、294)

(三) 慰謝料

昭二の年齢、家庭状況などの諸般の事情に照らすと、その慰謝料は二〇〇〇万円が相当である。

(四) 以上により、昭二の被った損害額は、合計七四三六万九二九四円となり、これを原告らが法定相続分に応じて共同相続(相続分各二分の一)したので、原告らは、各三七一八万四六四七円ずつを相続した。

2 弁護士費用

本件と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害は、七四三万円と認めるのが相当であり、これを右法定相続分に応じて、原告らが各三七一万五〇〇〇円ずつ負担したことが認められる。

3 総計

よって、原告らそれぞれの損害額は、各四〇八九万九六四七円ずつとなる。

第四  以上の次第であるから、原告らの本訴各請求は、被告らに対し、右それぞれの損害額各四〇八九万九六四七円ずつ及び各内金三七一八万四六四七円に対する本件不法行為後である平成二年七月二八日(昭二の死亡日)から各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の連帯支払をそれぞれ求める限度で理由があるからこれらを認容することとし、その余の各請求は理由がないからいずれもこれらを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項を各適用して、主文のとおり判決する(なお、被告らの申立てた担保を条件とする仮執行免脱宣言は、本件事案に照らし相当ではないと判断するので、これを却下する)。

(裁判長裁判官 石村太郎 裁判官 村木保裕 裁判官 沢田正彦)

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